村櫛の歴史10
安政の大地震と村櫛村酒専売所(その2) 松下 康文
前回は安政の地震について述べたので今回は村櫛村酒専売所が設置された当時の様子について述べる。安政元年(1854)11月3日の大地震と津波のために、浜名湖沿岸の村々の耕地は潮入りし、其の被害はひどいものだった。特に村櫛村は浜名湖の湖口に近いため、地震以後、潮の流れが不定流となり、また、干満が甚だしいために不魚が続き、農産物も不作の年が続いた。このために村は疲弊の極みに達し、住民はだんだん村を捨て他へ移る者が増えてきた。
村の代官であった堀野義豊はこのことを憂い、村の指導者達と相談して、この非常状態を乗り切る手段として、5年を一期として、衣服、飲食物に厳しい制限を加え、酒の売買は一切禁止するという厳しい倹約法を決めた。
この効果は数年も経たないうちに現れ、村の経済状態は少しずつ回復してきたが、世の中の常として、生活が楽になると気がゆるみ、村人の生活は段々贅沢になってきた。それにつれ酒を隠れて売ったり、酒を売る同業者の競争のため掛売りを始める者まで現れた。
このままだと、これまでの苦心も無駄になってしまうと考えた村の指導者達は、熱心に相談した。万延元年(1860)7月、酒の販売を村の専売とし、節酒、勤倹の風習を養うとともに幾分の利益は村費の一部に充てるとした「村櫛村酒会所」を創設した。このことについては、村櫛村消防組(注1)発行の「村櫛村消防組酒、醤油、専売所、共同浴場沿革概要」に創設の動機、沿革等が詳しく述べられている。
なお、この年の3月には井伊大老が水戸浪士達に暗殺されるという桜田門外の変が起こっている。
村櫛村酒専売所の変遷は「別表1」のとおりであるが、酒会所は村内に一ヶ所とし、当初は村役人が管理していたが、その後村人総代に代わった。さらに明治22年からは、10人の戸長が3人の世話人を選挙で決め、世話人の任期は2年とし、主に酒の仕入・売出等の収入の一切の事務を管理させ、別に番頭を置き小売りに従事させた。
(別表1)村櫛酒専売所の沿革
年号 | 西暦 | 記事 |
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万延元 | 1860 | 酒専売所創設、村方による会所売り始まる。 |
その後、管理は村役人から総代三名に代わった。 | ||
明治22 | 1899 | 管理は戸長の選挙で世話人三名を置く。 |
外に小売りのため番頭一名を置く。 | ||
明治34 | 1901 | 酒専売所の経営を消防組に委ねる。 |
明治40 | 1907 | 酒専売所、内務省より表彰される。 |
大正10 | 1921 | 醤油専売所を新設、経営する。 |
昭和4 | 1929 | 酒専売所、創設70周年記念祝賀式 |
昭和37 | 1962 | 酒専売所創業百年祭。 |
昭和40 | 1965 | 浜松市へ合併のため、酒専売所の経営は自治会に委ねる。 |
昭和55 | 1980 | 酒専売所120周年記念事業で、店舗改築。 |
昭和57 | 1982 | NHKテレビ「公営酒場のある村」全国放送 |
昭和58 | 1958 | 有限会社になる |
資料の「口上代」(注2)には、これまで村人の飲酒を禁止してきたが少々の飲酒(一日一合と言われている)を認める理由、「申述(注3)には、酒の良し悪し、酒の値段の決め方、販売の記帳方法等が箇条書に記されている。最後に、「覚」として、酒会所での酒の販売は現金に限るとし、夜の販売は禁止する旨が村役人名で書かれている。
その後、村に新しい個人経営の店の進出を防ぐため、明治42年、村長、村議会議員が協議をして、村全部に関係のある村の消防組(注3)に経営を請け負わせた。
酒販売の利益を村費の一部にあてた資料として、静岡県消防沿革史(注4)によれば、酒の販売による収入は、一年間に2500円前後で、純益金200円は役場費、教育費、協議費等、公共的に支出したという。
また、村櫛村の酒の専売所は、「自力更正」の範例として、東京朝日新聞に紹介されたこともあり、明治40年3月には、当時の内務省より推奨されている。
酒専売所は酒の販売ばかりでなく、夕方になると村人各人が持ち寄った「粗末なつまみ」を「さかなにしたコップ酒」で、一日の仕事の疲れを癒す「憩いの場」として賑った。
「町営酒場のある町」は全国的に珍しいと言うことで、たびたび新聞やテレビ等でされてきている(図1)は、昭和52年に週刊誌「サンデー毎日」に掲載された店内のイラストだが、当時の店の雰囲気が良く表現されている。現在の店舗は昭和55年に改築され、販売する場所と飲酒する場所は区別されている。今は、毎日集う人数は減ってきているがこの昔からの飲酒の風習は現在も続いている。
(図1)「サンデー毎日昭和52年9月18日号に掲載された店内のイラスト」
創立してから150年余りたち、それぞれの時代を乗り越えてきたこの酒屋も、物流の変化や交通機関の発達などにより苦しい経営を強いられている。
以上、村櫛村酒専売所の創設について述べたが、村人は昔から共同・団結の精神で幾多の苦難を乗り超え今日に至っている。今後、高齢者の多いこの町での店舗は特に必要となってきており、昔から培われてきたこの精神で知恵を出し合い困難を乗り切ってほしい。
(注1) | 消防組、明治5年(1872)~昭和14年(1939)、消防の機関として市町村に設けた組合。警察の指揮下に属し、組頭、小頭、消防手で組織した。村櫛村消防組は、明治18年2月の村内全焼58戸の大火を教訓に明治22年3月に設立された。 | |
(注2) | 口上代、口上の趣旨を記して差し出す簡単な文書のこと。 | |
(注3) | 申述、口頭または書面でのべること。 | |
(注4) | 宝静岡県消防沿革史、昭和4年12月20日、静岡県消防組合連合会が発行。「村櫛村消防組の酒専売」の項。 |