村櫛の歴史2
村櫛の縄文遺跡(太田遺跡と村櫛湖底遺跡等) 松下康文
図1:浜松市文化財分布図 |
この地方は古くから人が住んでおり、三方原台地(深萩町)にある縄文時代の黄金遺跡等は良く知られているが、村櫛町にも縄文時代の遺跡が存在するのである。
浜松市発行の「浜松市文化財分布図」には、縄文時代として太田遺跡と村櫛海岸遺跡等が載っている。(図1)
太田遺跡は、昭和50年2月に村櫛舘山寺道路建設に伴う遺跡の発掘調査により発見され、2500年ほど前の縄文時代晩期の遺跡であることがわかった。太田という場所にあったことから「太田遺跡」と名付けられた。遺跡の場所は村櫛半島の先端部の標高30メートル位のところの台地上にある。現在、発掘場所には立て看板もなく、畑や道路になっているためにわかりにくくなっている。
発掘調査は遺跡全体ではなく道路になる部分(15×70メートル)だけの発掘調査であったが、多くの土器破片と石器(石斧・石鏃・石皿)が出土した。土器片では年代の異なるもの(弥生時代末期(1700年前)及び鎌倉時代前期の陶器製の茶碗片)が出土した。(写真1.2)
写真1:太田遺跡の土器等
|
写真2:太田遺跡の土器等
|
「浜松市太田遺跡緊急調査報告(1976年)」には、「この遺跡は黄金遺跡、三塚遺跡のように背後に広大生産の場(三方原台地)をひかえた遺跡群のある時期のキャンプ地的性格の遺跡ではないかと考えられる。」と記されている。時代の異なる土器片が出土した理由は、縄文時代だけでなく後年何回かこの土地が利用されたのではないかと考えられている。まだ遺跡の一部しか調査してないので詳しくはわからないようである。
また、同じ時代の遺跡として平松町に
写真3:村櫛湖底遺跡の土器片
|
このほか、篠原町の北西新川河口付近からは弥生土器(約1800年前)、坪井町の浜名湖内(とびうお大橋付近)では、鎌倉時代(約700年前)の陶器片が見つかっており、 村櫛の南側には広い土地があり古くからから人々が生活していたことがわかってきた。
なお、各遺跡の出土品については浜松市博物館に保管されている。
以上縄文時代の遺跡を中心に述べたが、「浜松市文化財分布図」によればこの庄内地方には約40カ所遺跡・旧跡がおり、まだ発掘調査が行われていないので、今後の調査が期待されるところである。